どーもmakです。
今回は私が尾瀬で「あわや死亡」となりかけたストーリーをお話ししたいと思います。
「はあ?尾瀬で死にかけるなんてアホか!?」
と思われるかもしれませんね。
私は登山歴10年、3000m級の日本アルプスも何ヶ所も登っていますし一般の人よりは体力と脚力に自信はあるほうだとは思いますが尾瀬で死にかけました^^;
尾瀬とは?
尾瀬といえば群馬県と福島県をまたぐ位置にあり水芭蕉や湿原が綺麗で登山客やハイキング客にも大人気のエリアです。
「夏が来れば思い出す〜 遥かな尾瀬〜 遠い空〜」
の歌でも有名ですよね!
実は尾瀬には日本百名山が2座あります。
燧ヶ岳
至仏山
です。
私は百名山踏破を目指していて当然ながらこの2座も登る予定でした。
この超有名なスポットで私が死にかけたお話をします。
軽い気持ちでスタート
初日は群馬県側にある「大清水」という登山口からスタート。
1泊2日のテント泊でしたので装備はフル装備でザックは軽く20kgは超える重さでしたが、序盤は平坦な木道を歩いたり、湿原や池を眺めながらハイキング気分で順調に進みました。
やがて山小屋に到着。
ここで小休止をしました。
その先にあんなに過酷な登りがあるとは知らず呑気に休んでいました、、、
その先は「ナデッ窪」という燧ヶ岳に向けての登りが始まります
「よっしゃ!行こう!」
と気合を入れて登り始めましたが、、、
まあキツイキツイ、、、
これでもか!というくらいひたすら急登が続きます。
そのうち嫁さんがバテてきて「もう登れない」と言い始めたので仕方なく嫁さんの荷物をある程度自分のザックに移して再び登り始めました。
そしてようやく山頂手前の休憩スポットに到着。
そこで荷物をデポして山頂に向かいました。
しかし山頂はキリが酷く景色なんて見られる状態ではなかったのでとりあえず「登頂できた」ということでさっさと降りて先程の休憩スポットに戻りました。
嫁さんが待っていた休憩スポットで休んだのですが時間がなかったので少しだけ休んで急いで下山することになりました。
実はここで2つの重大なミスを犯していたのです!
第1のミス
まずルートですが、本来は休憩スポットからテントサイトまで直で行ける「見晴新道」というルートがあったのですが、以前に起きた台風で登山道が崩れてしまい通行止めになっていたのです。
その情報は知っていたのですがサイトを見ても特に通行止の記載がなかったので「多分大丈夫だろう」という勝手な判断で行動してしまったのです。
面倒くさがらずに電話で確認しておけばそんなミスを犯すこともありませんでした。
この場合は麓の山小屋で重いザックをデポして軽装で体力を温存しながら往復するのが正解だったのです。
しかし私たちはフル装備で登ってしまい無駄に体力を消費してしまいました。
第2のミス
これは時間が無いという理由でしっかり食事を摂らなかったことです。
フル装備で急な登山道を登り降りするということは相当の体力を消費します。
休憩スポットでとった食事はカステラ1個と水少々でした、それだけではとてもじゃないけど体力が持ちません。
このミスがその後の事件の引き金となったのです。
とりあえず来た道を戻る
仕方なく登ってきた道を戻り、小休止した麓の山小屋から分かれている違うルートからテント場に向かうことになりました。
岩場の下りは転倒、滑落の危険があるので慎重に下りなければなりません。
しかもフル装備だったのでからだ全体の神経と体力をどんどん削られていったのです。
そんなことも気づかずに「早く降りないと!」という焦りで休むこともなくひたすら下り続けました。
今思うとどんなに時間がなくても小休止しながら下りるべきでした、体はすでに悲鳴を上げているのに「まだ行ける!」と休憩を取らず無理をしてしまいました。
そして無理をし続けたしわ寄せがついに来てしまったのです。
そして体が動かなくなる
休憩を取らずに1時間くらい降りたでしょうか?
いい加減辛くなってきたので
「仕方ない、ちょっと休むか」
と岩場に腰掛けました。
腰掛けてからすぐにからだ全体が何となくピリピリとしてきました。
「あれ?なんかおかしいな?」
体に違和感を感じながらもザックを下ろしました。
嫁さんも私の異変に気づき
「どうしたの?」
と聞いてきた直後にどんどんからだ全体のしびれが強くなりついに体が言うことをきかなくなってしまいました。
スーパー銭湯にある電気風呂を思い浮かべてください。
あれって電気が出ている部分に腕とかを近づけると自分の意志とは関係なく腕が「ぎゅーーーーーっ」てなりますよね?
腕を曲げるつもりがないのに勝手に腕を曲げられて電気が出ているところから離れないと自由にからだが動かせなくなります。
まさにあの状態がからだ全体に発生してしまい全く身動きができなくなってしまいました。
「ヤバイヤバイヤバイ!!」
と思ってなんとかしようとしてもどうにもなりません。
嫁さんも私のからだが「ぎゅーーーーっ」となるのを見て相当焦ったみたいです。
そうこうしているうちに顔面もしびれてきてついにろれつも回らなくなってしまいました。
体は完全に言うことをきかなくなってしまい、このまま意識まで失ってしまうと本当に死ぬかもしれないと思ったので意識は絶対に失わないように頭では「どうしよう、、、どうすれば元に戻る?」と考えていました。
とりあえず山岳保険に入っていたのでろれつの回らない口で
「ヘリコプター呼んで」
と言ったのですが、不運なことにその場所は携帯の電波が入らず圏外になっていて電話ができず、電波が入るところまで下りて電話をしてくれと頼んだのですが、流石にこんな状態で一人でおいて行けないとヘリコプターを呼ぶのは諦めました。
過去の経験が命を救う
ヘリコプターが呼べないので次はどうするかとからだはしびれながらも頭はフル回転させていました。
その時
「あれ?そういえば前にも似たような症状が出たときあったな、、、」
と思い出したのです。
燕岳での経験
それは以前「燕岳」という山に登ったときの話ですが、燕岳のテント場にその日は早く着いて暇だったので
「行けるところまで縦走しよう」
と思いサブザックで稜線を歩くことにしたのです。
「夕方5時までにはテント場に戻る」というルールを決めスタートしました。
荷物も軽かったのでかなりのスピード、普通の人の倍のスピードで歩きました(歩くというより小走りで移動していました)。
ルート的には燕山荘 → 大天井岳までのルートでしたが、大天井岳の目の前で戻る時間になってしまったので仕方なく戻ることにしました。
戻る途中でちょっと疲れたので座って小休止することにしました。
その時尾瀬の時と同じようなからだのしびれが出たのです。
尾瀬の時ほどひどいものではなく、軽くからだが痺れる感じで
「なんかからだがしびれるな、疲れてるのかな?」
と思い念の為持ってきていたカロリーメイトを口にしました。
カロリーメイトを口にしてから5分程でからだのしびれはなくなり、何事もなかったかのように普通にテント場に戻ることができました。
その経験を思い出し、ろれつの回らない口で嫁さんに
「みず、、、」
と言い、ちょっとずつ水を飲ませてもらいました。
その後
「あまいの、、、」
と言ってチョコレートを食べさせてもらってから5分くらいでちょっとずつしびれ収まっていきようやくまともに喋れるようになり、更に水とチョコレートを食べさせてもらって5分後には全身の痺れがなくなり自由に体を動かせるようになりました。
「あーーよかったー」
と私も嫁さんもほっと一安心しました。
痺れている時に足がつってしまいその痛みはありましたが、痺れによる違和感は完全に消えたので本当にあの時は最悪の事態が起きなくて良かったと心から思いました。
山は試練の連続
とりあえず体の状態は元に戻ったので安心はしましたが、山はここからが大変なのです。
どんなに疲れていようが怪我をしていようが歩ける状態であれば自力で歩いて下りなければいけません。
仲間がいれば荷物を持ってもらったりもできますが基本的に「山は自己責任」なのです。
ですので自分で解決できることは自分で解決しなければいけません。
というわけで私もまた重いザックを背負って下りることにしました。
そしてようやくナデッ窪を下りて山小屋に到着しました。
そこの山小屋で飲んだオレンジジュースは最高に美味しかったですねー、まさに「全身にしみわたる」といった感じでした。
しかし休憩したのも束の間、ここで二つの選択肢が出てきます。
それは
「無理せず登山口まで戻る」
「予定通り山行を続ける」
の二つです。
誰かに判断してもらって決めるのではなく、自分の体が大丈夫かどうか自分で判断して決めなければなりません。
先程も書きましたが山は自己責任なので自分自身で判断するのが基本なのです。
この時は相当迷いました。
からだ自体は完全復活とは言わないまでもまだまだ行ける感覚はありました。
しかし何が起こるかわかりません、また同じ症状が出てしまい嫁さんに再び迷惑をかけてしまってはホントのバカですからね、、、
休憩所でオレンジジュースを飲みながら悩みに悩みましたが
「山行を続ける」
という判断をしました。
しかしもう一つの百名山の「至仏山」は登らずに尾瀬の湿原を歩いて帰るということにしました。
そこからテント場がある「見晴」というテント場や山小屋が立ち並ぶエリアに向かったのですが、そこまでが中々の距離で、平坦な道を2時間ほど歩いたでしょうか?
ようやく見晴に到着しました。
そこに着いたのが17時過ぎ、その日の山行は合計で10時間くらいは行動していたと思います。
私も嫁さんも気力も体力もすでに限界を超えていたので見晴に着いた時はどっと疲れが出たと同時に
「ここまで無事に来れてよかった!」
と心から安心しました。
テント場で反省と感謝
見晴に着いた時はすでに17時を回っていたのでテント場は一杯でしたが、なんとか場所を探してテントを張ることができました。
人間はテントであっても寝床が確保できると本当に安心できるものです、そのときも
「ようやくゆっくりできる」
と安堵しました。
時間も時間なのですぐに夕飯にしました。
嫁さんがわざわざアヒージョを作ってくれました
ビールと一緒に食べたアヒージョは死ぬほど旨くて
「まだまだ俺は生きているんだ」
という実感ができました。
夕飯を食べ終わった後は今日の反省をしたと同時に嫁さんに心から感謝しました。
2日目はハイキング気分で帰路へ
次の日は至仏山に行かないと決めたので尾瀬の湿原をのんびりハイキングして帰ることにしました。
やはり尾瀬は空気も景色も最高ですね!
正直至仏山に登れない名残惜しさもありましたが、今回は無理をせず次回リベンジすれば良いと至仏山を横目に見ながら登山口の「鳩待峠」を目指しました。
鳩待峠に到着。
いろいろありましたが何とか無事に帰路につくことができました。
反省点とわかったこと
今回の山行でいろいろなことが勉強できたのでそれをまとめてみました。
情報収集が足りない
インターネットで調べるだけでなく、直接電話で聞いたり、現地で山小屋のスタッフの人に聞くべきでした。
状況は刻一刻と変わるので最新の情報を手に入れることが失敗しない近道ですね。
もしもの時のためのエスケープルートを考えていない
今回のトラブルや怪我や天候不良になったときのエスケープルートを全く考えていませんでした。
エスケープルートを確保していれば今回のように登山道が通行止めになっても焦らずに行動ができました。
時間にとらわれすぎて休憩と食事がおろそかにしてしまった
「急がないと予定の時間に着かない!」という焦りで自分の体のことなど気にせず休憩もまともに取らず、食事も簡単に済ませてしまいました。
登山は想像以上に体力を消耗するので休憩と食事はしっかり取ることが大事ですね!
「まー何とかなるだろう」という無責任な判断をしてしまった
「どーせ尾瀬だからちょっとくらいのトラブルでも何とか対処できるだろう」というバカな考えで万全の体制を整えていませんでした。
登山は大自然が相手です。たかが人間一人の力ではどうにもなりません。
山相手に「何とかなるだろう」は何とかなりません!
以上4点です。
結局今回の山行で何がわかったかというと
「どんな山だろうがナメるんじゃねえ!」
ということです。
今回は山の神様に怒られたようで猛省しました。
その後はどんな簡単な山でもルート確認と万が一の備えをしっかりするようになり、本気で山登りを楽しむようになりました。
そしてこの時の嫁さんには本当に心から感謝しました。
まさに「命の恩人です」
勿論今でも感謝していますがその話をすると
「どうしていいかわからなくて本当にやばいと思った」
と言われます。
生きて帰れたからこそネタとしてこうしてブログに投稿できますが、もしあの時死んでいたらネタじゃ済まなくなりますからね^^;
最後に
今回はかなり長くなりましたが私が山で死にかけたお話をしました。
行動することは大事ですが無計画で無謀な挑戦は失敗を招きます。
何をするにも知識と情報と準備、そして信頼できる仲間が大切だということです。
もし失敗しても生きていればリベンジができます。死んでしまったらリベンジもクソもありませんからね!
失敗を重ねた人間は経験値も知識もメンタルも桁違いに強いです。
貴方も知識、情報をしっかりインプットして失敗を恐れずチャレンジしましょう!
勿論死なない程度にね、、、